いや~ 今日は朝早起きして、広島市内で納車を行い、
取引先を数件ハシゴした後、引き取りの為、午前10時半頃から “54号線” と言う、
広島市内から山陰へ延びる国道を使い 『島根県』 へ向いました。
ここ数日、天気がイマイチだったのですが、
今日は終日天気が良かったので、往復8時間強の道のりも、
無事に行って帰る事が出来ました。
で、ですね、今日はその山陰へ向う途中の “54号線沿い” で、
偶然に “廃校になった木造校舎” に遭遇しましたので、
その写真をご覧頂こうと思います。
場所は、『広島県 AT市』 の 『Y地区』 と言うトコなのですが、
走行中に左手方向にもの凄く大きな廃校 (木造校舎) が目に入ったので、
車を停めて見に行ったと言う訳・・・
[ビックリする程、大きな学校です・・・]
[プレートが剥がされていた為、学校名は不明・・・]
で、ちょうど、校門の前で “第一村人を発見” したので、声をかけて聞いてみたところ、
『あ~、この学校はねぇ~ 廃校になった後、縫製工場が入っていたけど、
10年程前に倒産して、今は荒れ放題ですよ。』 との事でした。
その方に 『入っても撮影してもいいですかね ? 』 って聞くと、
『いいんじゃないですか・・・』 との事だったので、まずは “校庭に入庭” 。
で、振り返りざまに 『あの~ この学校は何て名前ですか ? 』 って聞こうとしたら、
もう “第一村人” の姿はなかった・・・
“幻を見たのか” そう思ってしまう程、田舎の人は風のように消えてしまいますね~ (笑) 。
と、言う訳で、名前も分からないままに撮影を進めて行きました (苦笑) 。
[まずは学校のエントランスです。木造校舎には不似合いな “超モダニズム” な入り口なので、
恐らく、縫製工場になった際、後付け (←バイク屋風表現・笑) された物だと思われます。]
[エントランス前で倒れたまま風雪にさらされている 『急募』 の看板・・・ 今は昔ですな。]
[主なき場所の朽ちる寸前のポストには、古い年賀状が入っていました・・・]
[ペンキの剥げた木の壁と、色あせたダンボール達が時間の経過を物語っていますね・・・]
う~む・・・ この光景には少しまいった・・・
いつも 『VESPAに乗って島に行こう ! 』 で紹介している 『木造校舎 (廃校) 』って
古いけど 『生』 や 『再生』 と言った、人間にとって絶対に必要なポジティブな面に魅力を感じ、
撮影したり、その歴史を調べたりしているのですが、
この木造校舎には『負』や『悲』 と言った物しか感じませんでしたね・・・ (苦笑)。
まぁ、コレも人間が “選び、運び、歩ませた” ひとつの建物の歴史として
凝視しなければイケないのでしょうが、この不景気なご時世、
廃校、倒産と言った流れを聞くだけで、『明日は我が身』 と、気が引き締まる思いがしました。
と、言う事は、“生き方の反面教師的な面” もあるのかな~ ?
そう言う風に少しはポジティブに思う事にしました (苦笑) 。
と、言う訳で今日の1曲は “学校=卒業シーズン” にピッタリの曲、
『ユーミン』 の 『卒業写真』 をお届けします。
さて、さて、どうしてもこの廃校の名前が知りたいので、
道路の向こう側で建築作業されていた “第二村人の方” に大きな声を出して、
『すいませ~ん ! ココは何て学校ですか?』 って聞いてみたところ、
その方は親切に 『あX△÷Ω中学です。』 って教えて下さったのですが、
声が遠くて 『あ』 しか聞き取れない・・・
なので、もう一度 『え~ ! 何中学ですか ? 』 って聞き返しても、
やはり同じように 『あX△÷Ω中学です。』 としか聞き取れない・・・
実際、何度も何度も聞き返すのは失礼なので、『分かりました。有難うございました。』ってお礼を言って、
車に乗り込んだのですが、『 “あの次” は何だろう ? 』 って悶々としてしまいました。
もしかしたら、『麻生中学』 かな ?
なら、『レームダック (lame duck) 』 だった事が理解出来る (笑) 。