墓参りにて思ふ・・・

いや~ 今日は久しぶりに墓参りに行きました。
忙しくてなかなか行けないので、申し訳ないとは思いつつ、
草むしりをしながら、亡くなった祖父や祖母に話しかけていました。

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[お墓はエンジニアとして、ヤマトの建造に携わった祖父の希望で、
呉の港を一望出来る場所に建てられています。]

子供の頃、祖母に連れられて、よく墓参りに行ったモノです。
僕はまだ小学校の低学年だったので、長い長い登り坂を歩くが凄くイヤだった事を覚えていますが、
墓参りや祖母といるのがイヤな訳ではなかったので、文句は言わずに付いて行っていました。

今、40代になり、祖母も父も見送って、こうして墓参りに来ると、
色々と考えてしまいますね~

仕事が多い割に対価は少なく、この先、景気が良くなる期待も持てず、
働き盛りとは言え、同時に悩み盛りでもありますからね~ (苦笑)。

後どれ位先になるかは分かりませんが、
いずれは、僕もこの呉の港を一望するお墓に入る事になるでしょう。

それは20年先かもしれませんし、一週間先かもしれません。
運命はイタズラですからね・・

生きたいと願っても叶わない人がいる反面、屍のように働きもせずダラダラ生きているヤツもいます。
幸せの基準は個々で異なるでしょうし、自分の人生ですから、個々がどう使っても構わないと思います。

実際、今は色んな人がいますからね・・・
幸せの基準なんて、いくらでも有ると思います。

最近ではインターネット社会になり、光と影 (幸せと不幸せ) が表裏一体です。

実態の無い掲示板サイトでエラそうな事を書いて、その場でスーパーマンになっても、
翌朝目が覚めればソコには現実世界が待っています。
口座の残金が増えている訳でも、いい仕事に有りつけて、給料が上がる訳でもありません。
まさに影の部分だと思います。

でも、そういう影の部分の掲示板の中でしか生きる事が出来ない人もいます。
彼らにとっては、その掲示板の世界こそが自分を表現出来る場所で、
そこにいる時が幸せの瞬間なのでしょうから、影ではなく、むしろ光だと感じている事でしょう。
現実社会からは隔離された闇の部分で光を見出せるのなら、それも幸せな事かもしれません。


僕には理解が出来ませんが、否定はするつもりはありません。
ですから、現実には口座にお金がなくても、彼女がいなくても、欲しいモノが買えなくても、
掲示板で表現出来れば、人生が光に満ち溢れたバラ色なのかもしない。

ただ、普通に考えれば、現実社会で家族や彼女と海外旅行に行ったり、
車やバイク、楽器等の色々な趣味を謳歌した方が、人生が楽しいように思えますが・・・

まぁ、前記のとおり、人の幸せの基準は違いますらね~  コレ以上は言うまい・・・(笑)。
ただ、僕自身は家族の為、お客様の為、自分の趣味の為、
コレからも “実社会だけで” 頑張ろうと思っています。

落語の “死神” の一節じゃないケド、自分の蝋燭が燃え尽きる瞬間まで、
与えられた天命を全うした方が、楽しい人生のような気がしますが・・・
皆さんはどう思いますか ?

う~む・・・ 久々に墓参りに行くと、色々と考えてしまいますね・・・

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