いや~ 今日はLAMBRETTAのテスト走行がある為、
早朝から 『海の家』 へ入りました。
という訳で、今日はその際に撮影した動画をご覧下さい。
さて、話は変わりますが、今年は戦後70年という事で、
昨日の終戦記念日には、TVで色々な特番が放送されていました。
中でも特攻隊を扱った内容には、胸が熱くなってしまいましたね。
やはり、僕らがこうしてのんびりと平和に暮らして行けるのも、
名もなき英霊達のおかげだと思います。
戦争の史跡といえば 『海の家』 の近くに
『特殊潜航艇基地 大浦突撃隊 大迫支隊跡碑(Q基地跡)』 が有ります。
色々とネットサーフィンしたところ、このQ基地に配属されていた方の証言が自分史という形で
ネットにUPされておりました。
非常に勉強になる内容ですので、興味のある方はこちらでご覧下さい。
この方の資料によりますと、Q基地は 『特高兵器 蛟龍』 の講習員の宿舎として使われていたそうですが、
僕なりに色々と資料を追って行くと、
この 『蛟龍』 は呉ドックで製作されていたという事が分かりました。
実は呉ドックには僕の祖父が配属されており、
戦艦大和の建造に際しては、現場で溶接の始動に携わっていた技術者だったので、
『蛟龍』 の建造にも間違いなく携わっていた事だと推測出来ます。
事実、戦後の1945年10月に撮影された呉ドックの資料写真を見ると、
建造途中の 『蛟龍』 が山のように放置されていました。
戦時下とは言え、やむなく特攻兵器を作らされ、
戦後はそれがゴミのように廃棄される訳ですから、
技術屋として、祖父は複雑な気持ちだったと思います。
祖父は僕が小学校2年生の時に他界してしまい、僕自身、記憶は殆どないのですが、
寡黙で多くを語らない人だったように思います。
僕が今でもVESPA屋として頑張れるのは、
祖父が大和の建造に関わった偉大な技術屋だったという側面もあります。
戦後70年の特番で見た特攻隊の話 → 『海の家』 の近くの特攻養成のQ基地 → そこで配備された 『蛟龍』
そして、その 『蛟龍』 は間違いなく僕の祖父がいた呉ドックで建造された物・・・
何だか、不思議な縁を感じましたね。
なので、今日はLAMBRETTAのテスト走行を兼ねて、
『特殊潜航艇基地 大浦突撃隊 大迫支隊跡碑(Q基地跡)』へ行き、慰霊碑に手を合わせて来ました。
[こちらが 『特殊潜航艇基地 大浦突撃隊 大迫支隊跡碑(Q基地跡) 』 です。]
[海が青いです・・・ あの日 『蛟龍』 に乗った青年将校達には
『海が青い』 なんて事を言えるゆとりなんてなかったかもしれませんね・・・
平和な時代に生まれた事に感謝です。]
[こちらは機動艇発着場跡です。昔の資料写真を見ると、かなり立派な発着場でしたが、
今はかろうじて、石のベース部分が残るのみです。]
という訳で今日2本目の動画は、
『特殊潜航艇基地 大浦突撃隊 大迫支隊跡碑(Q基地跡) 』 の様子をご覧下さい。