最後は海が見える高台へ

いや~遅ればせながら、今日、墓参りに行って来ました。
で、唐突ですが、下の写真のドラッグスターに乗っかっている、
竹の木と鮮やかな紙細工で出来た『盆灯ろう』を皆さんはご存知でしょうか?

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[ドラッグスターと盆灯ろう・・・和洋折衷?]

実はコレ、広島や呉近郊のいわゆる『安芸門徒』だけの、
お盆のお墓参りの風習で
、少し西側の岩国市、それに東側の福山市には見られない、
本当に、ごく限られたエリアだけの風習なのです。

とは言え、コノ鮮やかな『盆灯ろう』をお墓に飾る言われについては、
ハッキリした文献が何も残っておらず、諸説ある中で、最も、一般的なお話としては、
江戸後期、広島城下内、現在で言うトコの市内中心部の、紙屋町あたりに住む、
紙商人の愛娘が無くなった際、両親がその死を痛んで、紙の鮮やかな灯ろうを作って、
墓に飾ったのが始まりだと言われています。

それが広島近郊に広まり、僕の住んでいる呉市にも“飛び火”したと言う訳です。

勿論、この鮮やかな紙の『盆灯ろう』は、あくまでも庶民文化の為、
『安芸門徒』と言えども、浄土真宗の教えとは全く関係の無いモノだそうです。

また、コレは“後付けっぽい”お話ですが・・・
貧乏でお花を買えない親子が、竹を裂いて、花のように細工をして、
お墓にお供えをしたのが始まりだと聞いた事もあります。

僕的には、前出の紙商人の愛娘の話より、こっちの『貧乏で花が買えない』の方が
今っぽくて好きですが・・・(笑)。
皆さんはどう思われますか?
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[この時期、墓苑は鮮やかな紙の花が咲きます・・・]

で、今日は 『おじ~ちゃんとおば~ちゃん』 のお墓参りだったのですが、
僕のおじ~ちゃんは大和を製作した技師の1人で、
現場でもかなり上の人物だった為、戦争には行かず、呉の海軍工廠で、
エンジニアとして活躍していました。

亡くなったのは、僕が小学校2年生の時だったのですが、
寡黙で物静かなおじ~ちゃんだったと、子供心に記憶しています。
大人になって、VESPAのレストアと言う、エンジニアのはしくれの仕事についた頃から、
『もっと、おじ~ちゃんと話がしたかったと・・・』と思う事しかり・・・

今は呉の港が一望出来る、墓苑の一番高い場所で眠っています。
これは生前から、『最後は、海の見える高台のお墓にしてくれ』との
おじ~ちゃんの遺言によるモノで、
どうやら、僕の家系は皆、海好きのようですね(微笑)。

実は、そのおじ~ちゃんのお墓からは、今、話題の『大和ミュージアム』も見えます。
実際に大和を製作したエンジニアの1人だったおじ~ちゃんは、
『平成の大和ブーム』をどんな風に見ているのかな?
何て、思ってしまいました・・・
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[おじ~ちゃんのお墓から見渡す呉の港・・・絶景です。赤い○が『大和ミュージアム』です。]

さて、今日の1曲は、8月15日、終戦記念日と言う事で、
『ジローズ』で『戦争を知らない子供たち』をお聴き下さい。
当時のアナログ盤からの音源です!!
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次をクリック→[audio:ssiranai.mp3]

さて、さて、お盆休みも、もうすぐ終わりですね。
僕も、外注先がお休みだった為、少しペースを落として仕事をする事が出来ました。
いよいよ、夏も終盤、この猛暑が少し和らぐ事を祈るだけですね。
ではでは・・・

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